素敵ベネディクトゥス修道会


修道「会」と名に「会」と云う文字を持つだけには「会則」と云う規定を持たなければならない訳ですがちょっとご紹介したいのがベネディクトゥス修道会。まず其の大まかな一日から。

深夜Matins(朝課)と呼ばれる1日で最初の礼拝式の為に起床。
1時Lauds(賛課)と呼ばれる2回目の礼拝。
2時一応礼拝終了。寝ても良し、聖書を読むも良し、祈るも良し。
7時起きて教会に戻りPrime(一時課)と呼ばれる短い礼拝式を行う。
7時半Prime後数名の修道士第一ミサを行う。行わなかった修道士は週に一度服を着替え洗濯。
8時朝食。断食の期間は朝食無しで仕事。
8時半第二ミサを行う。教務院にて物事の取り決め。
9時半取り決め後、若い修道僧は歩廊を自由に歩いて話し合って良し。
10時フル装備で盛式ミサを行う。一番重要なミサで賛美歌とかも歌う。
10時半お偉い修道士が修道院の農場の召し使いや労働者に指図。
11時聖書朗読を聞き乍ら私語一切禁止状態下で昼食。
11時半弱っているか年を取っている修道士は1時間程仮眠。
12時半~17時自家菜園で労働。夏場は18時迄働く。
17時
(夏は18時)
Vespers(夕拝)とCollation(朗読)の為に教会へ。
18時
(夏は19時)
夕食後歩廊や庭でのんびり。
19時
(夏は20時)
Compline(終課)を終えて就寝。

随分ゆったりと健康的そうですが…見て下さい。7時半の所。服…週に一回だけしか着替えません。理由はそんな詰まらない事に関心を寄せるのは下らん、世俗的だ、とかそういう事らしいです。

現代日本の感覚だと、「汚いなー」とか思いますよね。でも実はもっと凄まじい。風呂は年に一回です。別に当時農民も天気の良い日にちょっと川で水を浴びて洗う程度なので特別抜きんでて汚いとか云う事でも無いのですが、問題は此の年に一回の風呂も「強制的」に入らされての一回です。言い換えれば「強制されなければ風呂には一生入らない」と云う事です。そして事実当初は一度も風呂には入っていませんでした。

では何故其処まで風呂に入らないのか。と申しますと問題は此の会則を作ったベネディクトゥスさんに有ります。彼は実は元はと言えば余りキリスト教には興味が無く単に勉強をする為だけに当学問の中心地だったローマへと行った訳です。しかし、実際にローマに行ってみたらば学生は遊んでばかりで勉強をしないで堕落のし放題。此れでは駄目だ、と一通り学んで田舎に引っ込み独自で勉学を極めようと決意。其れに賛同して付いて行った連中と共同生活を始め、「皆で住んで皆で理想を追求する」事を掲げた事が修道会の始まりと云われています。

怠惰は人を駄目にする。ひたすら何かして忙しくさせておかなければいけない、と思った事からかの有名な「祈り働け」と云う文句が出ました。暇にしていないで働いているか祈っているかのどっちかにしろ、と云う事ですね。

さて「働く」と云う事ですが当時ギリシャ・ローマ的風潮として「役に立たない」もの程価値が有りグレードが高いとされました。例えば勉学にしても一番高いのが哲学に対し低いのは医学でした。此処で観想から実践への転換が行われベネディクトゥスは「役に立つものは良いもの」で有るとしました。

また如何せん修道制と云うのはそもそもが個人主義(一人で孤住したりして過酷な禁欲主義を通したりした)であった物がベネディクトゥスは「共同主義」を取った為、「8割位の人が少し努力すれば出来るような規則」を作らざるを得なくなり「過激な禁欲主義の排除」を行い「中庸」のスタンスを取るようになったと云います。

さてもさてもローマの遊びたくり学生と見て嘆き反感を持った彼は悉くローマを嫌っていく訳ですが…当時「風呂」と云えばローマにて盛んだった「公共大浴場」の代名詞のようなもの。ローマ人曰く風呂に入りながら色々論じたりしていたそうですがベネディクトゥスの目にはもはや風紀を乱すものでしか無く、堕落の象徴の一つでも有りました。そして「風呂はいかん」と云うスタンスを取るうようになり、其の修道会では全く風呂に入らなくなったのです。

しかしずっと風呂にも入らなければ、まともに着替える事もしない。其れでは蛆(ウジ)は湧く、虱(シラミ)は湧くと云う事は想像に難くないですよね。実際蛆と虱のパラダイスと化し、不衛生もどん底に落ち込みついには健康を害すようになったとの事。其処で修道会のトップで話し合った結果、年に一度は強制的にでも風呂に入らせよう、と云う事になったのです。

そういえばかつての修道制の過激な迄の禁欲主義と個人主義はギリシャ哲学者達の思考に影響されたと云われています。古代ギリシャと云えば何とも凄い修行者の宝庫ですからねー。例えば一人で木の上に上ったきり一生下りてこなかった、とか、一生樽の中に籠もったきり出てこなかったとか…。此れを最初に受けたのがエジプトのアントニウスさんが起源とされる東方修道制。一人で砂漠に庵を建てて修行をしていたら「自分も…」と勝手に其の庵の周りに人々が集まって個別に庵を建てて修行したんだとか。

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